AがBを殺害した。Aの殺害は事実であると断定された。
誰によってか?
AとB以外の者たち全てによってである。
Aはその罪を責められることとなり、死刑が宣告され執行された。
すなわち、Aは殺害された。
誰によってか?
A以外の者たち全てによってである。
ここで、「A以外の者たち全て」にはとうぜんBは入っていないと思うだろう。
実際そうである。がしかしだ。
より大きな意味においてはそうではないとも言えるのであろう。
ある検証が存在して、Bの殺害はCによるものであるとの事実が浮上してきた。
そして、その事実は断定された。
誰によってか?
A、BとC以外の者たち全てによってである。
おそらくはCも殺害されるであろう。
Aは殺害されずともよかった。そもそもBもCによって殺害されずともよかったのだが。
ほんとうのところはどうであったのか、そして実際にはどのように事実認定されたのか、何がうやむやになってしまったのか、分からないままであり続けることはあるのかないのか、よく分からない。
結局のところ、それが正しかったかどうかはわからず、ただそうなってしまったかあるいはどうなったのかよくわからないままであるのか。
こうあるべき、というものが貫徹されることはけしてないのが、この世のおそろしいところではないだろうか?
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